BASS LOVE: DJエラグルの低音メモリィ

酒と低音の日々~Nights Of Shots & Bass : Grime,Dubstep,Bassline House & All Kinda Bass Sounds

PROFILE

DJ ERAGURU

Writer:DJ ERAGURU
淡路島在住。
週末は殆ど大阪在住となる低音専攻のDJ/オーガナイザー。主にFUNKY、BASSLINE HOUSE、DUBSTEP、GRIME、UK GARAGE、2STEP、BROKEN BEATS、BREAKS、D&Bなど、黒くて下半身に訴えかける低音ダンスを得意とする。関西CLUBシーンの黒系BREAKS番長。クラブで見かけたら気軽に声かけて下さい。酒おごります。笑
あ、休眠中ですがdrumnbass.orgと2step:REWINDS!!!とDIRECTもやってます。

ERAGURU'S DJ MIXES

"Bassline House promo mix"
(Bassline HouseのShort Mix)

DJ Schedules

関西を中心に活動中です。たまに名古屋や浜松、東京でPLAYしてます。ブッキングは右下のメールフォームからどうぞ。

2010.11.27.sat
ラガチャンネルvol.25@sound-channel,大阪

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GRIMEへのリンク~So Solid Crewの真実

実はさっきBassline Houseについての記事を書いてたら、ふと以前mixi内で公開したSo Solid Crewについてのガーディアン紙の記事の翻訳を、UK Garageがスローダウンした一因として先に紹介して置いた方が分かりやすいかなと思って、転載することにしました。かなり長くて超ラフな訳なんで誤訳ありありだと思うんですが、とりあえず。面白いので。

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ふとケン・リヴィングストン(ロンドン市長)のことが気になって、いろいろ調べていたらガーディアン紙のONLINE版で、最近日本ではほとんど音沙汰を聴かなくなったSo Solid Crewのこんな記事を見つけました。結構な分量ですが、彼等を知ってる人には面白いし、逆に知らない人にとっても、治安の良さで日本と比較的近い安全なイメージがあったイギリスの、サッチャー政権以降(大ざっぱに言えば金融などの強引な規制緩和による自由市場と公共サービスの大幅な削減、それによるバブルと貧富の差の拡大)のアンダーグランドの一端を垣間見る事が出来る気がするので、ちょっとラフな翻訳ですが、公開します。長いので前後編ってことで。(英語が分かる人は、リンクの元記事をどうぞ&多分誤訳あるので、こっそり指摘よろしく。笑)

「So Solid Crewの真実」
http://www.guardian.co.uk/arts/features/story/0,,1469951,00.html

2001年、So Solid Crewはチャートと世界のトップにいた。そして現在、逆境と試練のあと、音楽業界だけでなく、タブロイド紙のゴシップ欄にも、彼等の遺産は残されている。Jamie Jacksonは、UKガラージのスター達の真相に迫った。

2005年4月24日付

シングル"21 Seconds"(注1)が、彼等の地元サウスロンドンからSo Solid Crewを世界に知らしめたのは、2001年8月のことだった。
この荒ぶるトラックは、ナンバー1を獲得し、そして30人以上のクルーと共に物語は始まる。彼等の多くは10代で、幾人かはほんの子供だった。彼等の中にはRomeoやMegaman、Oxide、Asher DそしてLisa Mafiaがいた。物語の過程で、Brit Awardの受賞、ファンの死、幾つかの銃撃事件、刺傷事件、訴訟、何度もの禁固刑、レコード会社の破産、政治家からの中傷、TVのスターになるもの、映画界からの名声、殺人容疑でのリーダーの逮捕、そして僅かの音楽的な名声、ありとあらゆる出来事が起こった。

So Solidの音はUKガラージだった。Craig Davidの様な軽くて甘いヤツじゃなく、アンダーグランドのクラブシーンと彼等が生まれ育ったBatterseaとBrixtonのストリートを代表するサウンドだった。もしもあなたが彼等のその後のシングルやアルバムからの曲を聴いたことがなかったとしても、ダイアモンドとストリートウェアで身を固めたMCとDJとシンガーの集団のゴシップの嵐を耳にしない訳にはいかなかっただろう。

So Solid Crewの存在は、とにかくけばけばしいものだった。彼等の名前は、イギリスでは当時一般的ではない他の国のことと思われていたドラッグ、銃、クリスタルシャンパンでの乾杯といったゲットーカルチャーの代名詞となった。

「俺達は、セックスピストルズが登場してきた時の様な扱いを受けたんだ」と今月の初めにインタビューに答えたMr.Shabz。彼は23歳でクルーのトラックメイカーだ。「今はイギリスのブラックミュージックは、スゲーデカくなってる。問題は、その時には俺達しかいなかったって事なんだ。政府はそれが気に入らなかったんだよ。俺達はスケープゴートにされたんだ。俺達はサウスロンドンにいるのに、例えばバーミンガムで何かが起これば、それは俺達のせいにされるんだ。全く訳が分かんないよね。」
これは、2002年1月2日に行われたパーティの早い時間帯に、ギャング同士の銃撃戦に巻き込まれてバーミンガムのティーンネイジャー、Letisha ShakespeareとCharlene Ellisが死んだ事件の後で、Kim Howells文化相が「バカどもは、銃の文化と暴力を称賛しているSo Solid Crewを好むんだ。」と非難し、David Blunkett内務大臣が彼等の歌詞を「ぞっとする」と発言した時の事を言っているのだ。

国営放送RADIO 1と1XTRAでDJを務めるRas Kwameは、問題はそんな簡単なことではないという。「メディアが彼等に惹きつけられたのには、もっと複合的な理由がある。私は彼等に起こったこと全てが彼等の所為だとは思わない。彼等は、都市の現実をポートレイトしたレコードを幾つか作っただけなんだ。それらのレコードは、現実を必要以上に美化するブラシでの所為で、曇らされたんだ。」

2005年4月現在、ゴージャスな生活が手に届く範囲にいるメンバーは、ほんの僅かだ。2週間前、映画『Bullet Boy』が多くの称賛を得て全国の映画館で上映が始まった。その主演を務めるのがクルーの中ではAsher Dとして知られるAshley Waltersだ。彼は今アメリカにいて、50 Centsの伝記映画のリハーサルに参加している。それと同時にソロアルバムの準備をしているところだ。「俺は、自分に出来る方法でなんとかしてこの業界で生き残ろうとしているんだ。長い経歴を積んで、家族を養って行くんだよ。」

Lisa Mafiaもまた、有名なひとりだ。彼女は最近チャンネル4のTHE GAMESに出演して、美人キャスターのKirsty Gallacherの様な有名人達と走競争を演じて見せた。「あれは新しい挑戦だったの。」と言いながらも彼女は、それでも自分が因って立つ場所は音楽だと強調する。「音楽活動が最も私がやりたいこと、そして今後は音楽ビジネスにも力を入れたいの。自分のレーベル(Mafia Records)も持っているし、シングルもじきにリリースされるわ。私は自分自身でクリエイティブコントロールをしているの。」

残りのメンバーの多くも、まだ音楽に関わっている。彼等のマネージメント会社は、グループはまだある意味存在しているし、近い将来アルバムのリリースもあるだろうという。とはいえSwiss(Pierre Neil)の様なメンバーにとって未来は決して明るくない。彼は未だにBatterseaの治安の良くないWinstanley地区に住んでいて、ソロアルバムを準備中だ。

「アルバムの出来には満足している。」と彼は言う。「でも、いささか大変だったけれどね。もし車を持っていなかったら、出かけるのに苦労するよな。出かけるには地下鉄に乗らなくちゃならない。小さな事の様だけど、結構違いは大きい。」(訳注:ここのところがよく分からなかった。たぶん例え話ではないかと思う。売れてた時はお金もバックアップもちゃんとあったけど、今は無い。というような。どうでしょうか?)

SwissはWinstanleyで兄のMegaman(Dwayne Vincent)と育った。グループのリーダーとして知られているMegamanは、去年の11月にサウスロンドンのTootingで起こった殺人事件に関与の容疑で、現在拘束されており、9月5日にロンドンの中央刑事裁判所に出廷して無実を主張する予定だ。

エグゼクティブプロデューサーのG-Man(Jason Phillips)は、21Secondsの作者であり、2003年7月に銃の不法所持で懲役4年の判決が下っている。MC Harvey(Michael Junior Harvey)は、チャンネル4の週末番組のTVの司会をやっている。T4は今年の1月にWelwyn Garden Cityで逮捕に抵抗した揚げ句、警官を襲った容疑で告訴された。彼は5月31日にアルバーン治安判事裁判所に出頭することになっている。

MC Romeo(Marvin Dawkins)、もし未だにグループが存在するとしたらSo Solidを代表するだろうメンバーだ。彼は2002年の11月にソロアルバムをRelentless Recordからリリースした。Relentlessはアルバムのリリースの為にSo SolidがIndependienteレーベルへ移籍する前に所属していたレーベルだ。彼は2枚のトップ10シングルを放ったが、ソロアルバムの売上枚数は4万枚程と振るわなかった。2003年の3月、Relentlessは300万ポンドの負債を抱え破産宣告をした。Romeoもまた、7月にサウスウォーク刑事裁判所に、傷害罪の罪で出廷する予定だ。

「彼等は、とても才能のあるアーティストだ。それは彼等の残した作品を聞けば分かる。しかし、彼等がグループとして復活できるかどうかは、それぞれのソロアルバムが成功するかどうかにかかっているんじゃないかな。」とRadio1のRas Kwameは付け加える。

メンバーの数や構成を正確に把握するのは難しいが、女性メンバーのThug AngelやTiger SやThe Twinsが未だにグループにいるのかは、よく分からない。Samantha、Skip、Frost、ThrustといったSo Solid Kidsがホントにメンバーだったかどうかも疑わしい。確かなことはSo SolidはMagamanとG-Man(Lisa Mafiaの元カレ)によって生み出されたということだ。彼等は1998年に海賊ラジオ局のSupremeFMで知り合い、そのうち彼等の周りに10人のコアなメンバーが集まった。その中には、以前から音楽制作に関わっていた者も何人かいた。

「Mr.ShabzとSwissとMegamanそして俺は、2 Hype,2 Youngていうバンドを昔組んでいたんだ。」そう回想するのは25歳のKaish(Shane Neil)。彼はSwissとMegamanの従兄弟だ。「'92年くらいから'96年まで、俺達はいろんなコンテストに出演したから、若い時から皆俺達のことをTVや映画でみて知ってたんだよ。」

グループはちょうどUKガラージのシーンが大きくなって行く過程で、海賊ラジオ局のMCとして頭角を現した。しかし、成功を手にした途端に、トラブルは始まった。

2001年3月、ルートンのクラブでSo Solidの出演後、Peckham出身の彼等の18歳のファン、Marcus Hallが、通りでのケンカで殴打され、刺された。So Solid Crewのメンバーは、誰もその事件に関わっていなかった。それから"21 Seconds"のリリース直後、So SolidのメンバーのSkat D(Darren Weir)が、15歳の女性ファンに性的な行為を拒絶された腹いせに、顎の骨を折るという事件で、訴えられる。その年の11月、彼等のデビューアルバムの発売の前週、ロンドンのAstoriaのギグで2人の男性が、銃撃で負傷した。この事件とグループは何の関係もなかったが、12月の全国ツアーはキャンセルされた。

スマートで小柄なLisa Mafiaは、So Solidを取り囲んだ多くのトラブルに対する非難は、彼等自身のせいではないと主張する。「私達は、長い間アンダーグランドで活動していたから、私達を応援してくれるファン達は、みんなストリートの連中だったのよ。キラキラのクラブでプレイしてたんじゃなくって、私達がプレイしていたのはサウスロンドンだったのよ。私達のファンは、普通の連中よりは荒っぽかったし、それがトラブルの原因になったの。ウエストエンド(山手のエリア)で、私達がプレイしたとき、メディアは彼等のふるまいがありふれたことだってことを理解できなかったの、それこそサウスロンドンでは、誰も気に留めないようなふるまいが。」

それでも、暫くの間は、グループはその嵐を上手く切り抜ける事が出来る様に見えた。アルバム「They Don't Know」は、発売一週間で10万枚を売り、プラチナディスクに輝いた。そして最終的に45万枚以上を売上げたのだ。そしてそれに続く2曲のトップ10ヒット。2002年には、ブリットアワードのベストビデオ賞を受賞、しかし2002年3月、Asher Dが銃の不法所持で少年刑務所に18ヶ月の判決を受ける。

注1:それはMC達が自分のリリックを吐き出すのに許された時間を示す。


So Solidのメンバー達が抱える問題の一部は、彼等は有名人であるにも関わらず、それまで住んでいたラフなエリアに住み続けていたという所にあった。「Asher D、彼がやったことを正当化するつもりは私にはないけれど、私達はその頃依然として、あのタフで薄汚い場所に住んでいたの。そして、以前と変らない人達と接していたし、その中にはもちろん物騒な連中も居たわ。私達はとても有名になったにも関わらず、十分なお金を貰っていなかったから、そうするしかなかったの。チェルシーに引っ越っすなんてできなかった。誰も私達をそこから連れ出してくれる人はいなかったの。でも、考えてもみて、マネージメント会社に何が出来た?30人もいる私達を全部、引っ越しさせるなんて到底そんな余裕はなかったのよ。」

メンバーの1人FACEは、角張った顎のMCで、彼も今ソロアルバムの製作中だ。その合間を縫って親権のある息子と娘の世話をしている。彼は未だに、周囲からのプレッシャーを感じるという。「俺は今でも、通りを歩くと、周囲からのプレッシャーを感じるんだ。有名になっちまったんだから仕方ないとは思っても、やっぱりしんどいよ。その所為で家に帰って、自分が周りに辛く当たってしまって、一番愛しているはずの家族や仲間と喧嘩になる。そのことは俺の生活をひどく痛めつけるんだ。」

2003年、So Solidが再び活動の準備を整えたとき、またしても物事は彼等を逆境へと押しやった。イースターにロンドンのTurnmillsのクラブでギャング同士の銃撃戦が起こり1人の男性が死亡した時、新聞の見出しにはこう出たのだ「So Solid Crewのパーティで殺人」と。この事件にはSo Solidのメンバーは何の関わりも無かったにもかかわらずだ。この日ソロシングルのLIVE PAを予定していた、Lisa Mafiaに至っては事件が起こった時、会場入りすらしてなかったのに。

9月にセカンドアルバム『2nd Verse』が発売されるが、第1週の売上は僅か3,000枚で、チャートの70位にしかランクインできず、最終的にはトータルで2万5千枚しか売れなかった。Ras Kwameによれば、これは彼等が新境地を目指したからだという。「彼等は、アーティストなら誰でも常に難しい事、つまり今までと違うサウンドに挑戦したんだ。彼等は、UKガラージから、よりヒップホップに近づこうとした。彼等は勇敢にも音を進化させようとしたんだ。」他の評論家達は、So Solidは自分達のオリジナリティをなくした、無難な音になったと評した。オブザーバーのKitty Empireは「So Solidは、以前ほど、驚異ではない」と書いた。

RomeoとMr.Shabzは、口を揃えてIndependiente(彼等の所属レーベル)が『2nd Verse』を、ちゃんと宣伝しなかったと言っている。「あのアルバムは、ほとんどプロモーションがされなかったんだ」。この件についてIndependienteは、コメントを控えた。エミネムや50 CENTの様なアメリカのアーティストがじゃんじゃんかかっているのにも関わらず、So Solidの音は「暗過ぎる」という示し合わせの様なものがラジオ業界にあり、RADIO1と1Xtraを除いた、他のラジオ局ではかからなかったのだ。

So Solidは、自分達の音をちゃんと聴いてもらおうと、デビッド・ボウイやベッカム夫妻を雇い主に持つOutside Organisationという新しい宣伝会社を雇った。「私達は、彼等にはまだまだ潜在的な能力があると考えています」と、CEOのAlan Edwardsはいう。「彼等は大衆にアピールするルックスを持っているし、音楽の魅力で音楽シーンとメディアに十分アピールできます。彼等は、社会的な文脈でも、まじめにとりあげる価値のある存在です。彼等は個々にいろいろな問題で、騒がれていますが、グループ全体としては申し分ない。可能性は十分にあります」

メンバー達にとって、メインストリームへのアプローチは間違って行われたとしか思えない。「俺達をメインストリームへと導いたNo.1ヒットの事実や人気を、捨てろって言うのかい?」22歳のトラックメイカーOxide(Alex River)は問う。彼はクルーの数少ない白人メンバーの1人だ。「巧妙に仕掛けられた罠みたいだよ。So Solidは本当はもっと長続きした筈なんだ」

So Solidとしての成功の前に、Oxideと彼の相棒Neutorino(Mark Oseitutu)は既にNo.1を記録したシングルヒット("Casuality")を持っていたし、プラチナディスクを記録したアルバム("Execute")からは更に3曲のヒットを飛ばしていた。2002年、Oxideはガーディアン紙の音楽ライターAlexis Petridisに「イギリスでも最もオリジナリティを持つトラックメイカー」と評された。しかし、彼等2人もまた、ラジオ局が彼等の曲を流さないことに悩まされた。「僕達の曲は全部トップ10ヒットだったのに、ラジオ局のプレイリストのBランクに入れられるのが関の山だった」。2001年にNeutorinoは、ロンドンのクラブの外で襲われ、銃撃された。そして彼自身も銃を使用した容疑で拘束された。後に容疑は取り下げれるのだが。

So Solidのリリックへの攻撃は益々激しくなって行った。2003年7月にG-Manが判決を受けようとしている時には、ロンドン市長Ken Livingstoneの人種問題に対する相談役を務めるLee Jasper(訳注:ロンドンの黒人差別等に対する政策などで、黒人達を含めた多くの市民からも高い評価を得ている人物で彼自身も黒人)が、"Open up your face"や"you to the morgue"といった歌詞の一部だけを取り上げて彼等を非難した。Jasperは「こういったことは誰かがちゃんと言わなければいけません。実際こういうことを唄っている人達が(黒人の中に)いるのは確かです、しかしだからといって我々(黒人全体)が、それを扇動している訳ではないのです」と発言した。So Solidの残ったメンバー達(彼等はグループの存在を未だに信じている)は、そういった厳しい批判に晒される事になった。「Jasperは、俺達を切り捨てた」とDJ Swiss。彼は穏和に話す明晰なDJ/トラックメイカーだ。「俺達のギグやパーティで俺達に起こったこと全てが、非難されたんだ。ほんとに腹が立ったよ」。しかしFACEは、メディアが取り上げた彼等についての事柄は、当たらずとも遠からずという点については認めている。「一方では、確かに責任はあったと思う」と2児の父は言う。「刑務所に入らなければならない様なことをした者もいたんだ。そのことは皆知っているべきなんだ、そうすれば人々は彼等から学ぶことが出来る。しかし、飲んだくれてる知らない連中がやった事に対してまで、俺達が責任を取らなきゃならないなんてことはない。俺達は、ポジティブな事をしていたんだよ。多くの人々は、俺達のことをもう誰もサポートしたりしないと思っているけどね」

今現在は消滅した彼等のホームページによれば、現在彼等のメンバーは21人だ。「俺達は、少しばかり人員削減をしたんだ」とシンガーのKaish。「しかし、他に15~20人の予備軍がいるんだ。彼等は実際So Solidのメンバーではないが、才能がある連中だから俺達は、彼等をプッシュしている。でも、他のレコードレーベルが彼等のことが気に入ったら、いつでも俺達のもとを離れて契約していいんだ。以前はそういう連中が、外に出て、俺達の評判を悪くしていたんだけどね。クラブで喧嘩になって、やばいことになってきてはじめて"俺はSo Solidのメンバーだ"というんだよ」

Oxide & Neutrinoは現在、新しいレコードを製作中だ。FaceとKaishもまたソロアルバムを制作している。Mr Shabzは自身のプロジェクトに集中していて、その中には映画のサントラの仕事も含まれている。彼等が今はクルーの中心メンバーだ。OxideはFACEのレコードを称賛する一方で、FACEは「俺はまだSo Solidのメンバーだ」と強調する。実際彼等はクルーとして、去年So Solid名義でシングル"So Grimey"をリリースしている。これはチャートの62位にランクした。「俺達は、今も一緒にいるし、今はただそれぞれがソロを作ってるだけなんだ」とDJ Swissは説明する。「俺達にはリーダーはいないんだ」と26歳のFACE。

既に成功をモノにしているクルーのメンバー達は、この意見に同調していない。Ashley Waltersによれば、「グループとしてのSo Solidは、今はもう存在していないよ」。彼は自分の過去を後悔している。「金と名声で頭が一杯だったんだよ。俺は今でも派手なものが好きだけど、子供達がそのことで攻撃されるようなものじゃない。なぜなら彼等は今もこれからもそういうものを欲しがるし、彼等は俺がそれを手に入れる為にやらなきゃならなかったことを忘れているからね」

「明らかに多くの間違いがなされたけれど、それらは俺達に多くの現実を思い知らせてくれた。これは言い訳じゃないんだけど、So Solidに起こった全てのことに対して俺はその理由を説明することが出来ると思う」とMr Shabzはいう。「俺達は、完成品のバンドじゃなかったんだ」彼は、彼等が荒っぽい危険なバックグランドからの出身だが、今はちゃんとした企業家だと説明する。彼は今3つのビジネスをやりつつ、映画のサントラ製作の仕事にも携わっているが、かつての魅力的な生活にもどれるかもしれないと信じている。

「俺達はポジティブなんだよ。残念なことに、メディアの連中は未だ嘗て俺達をそういう目で見てくれたことが無いけどね。とにかく、年末のカンバックに注目してて欲しい」

Lisa Mafiaはクルーから距離を置いて、ソロの計画を立てている。「みんな、"元So Solidの"って云うと思う。それは痛々しく聞こえるかもしれない。でも、私自身はこう考えているの"あの時はあの時で結構楽しかった"、でも今は、いま自分がやっていることを楽しんでいるの。過去4年間でできたコネを使えるのって、今の私にとって有利でしょ?今は、私は自分で自分の仕事をコントロールしているし、それこそプロモーションからマーケティングやビデオまで全部自分でやっているのよ」

RomeoはMafia Recordsの為に「若いアーティスト達を育成しているところなんだ。もしSo Solidって存在がなかったら、俺は今ここには居なかったからね」と彼は言う。「アンダーグラウンドで活動した経験やその後のコマーシャルな世界で経験した事は、すべて様々な事を学ぶプロセスだったんだよ。So Solidの周りにはいろんな論争が起こった。そのことで、多くのこれから出て来ようとしてたアーティスト達をダメにしたんだ。」

「でも、今にして思えば、あの頃の事が懐かしいね。俺達30人が街中を走り回って、大騒ぎを起こしてたんだからね。」

So Solidの重要性

グライムシーンの女王、Laday Sovereignを聴いたことがあるものなら、寡黙である事が彼女の商売道具だなんて誰も思わないだろう。実際、彼女は決して寡黙ではない。しかし、最近の彼女のインタビューのなかで、よくある質問の一つとして、彼女がパートナーのDJとの出会いを訊かれたとき、この歯に衣着せぬトークで、物怖じしない彼女が突然、恥ずかしがって答える事を渋ったのだ。まるで恥ずべき秘密でもあるかのように。おおかたタレントスクールで友達になったとか、アイドルのオーディションで知り合ったと言ったところだろうと皆思うところだ。しかし、実際は「ネットのSo Solid Crewの掲示板で知り合った」のだ。彼女はそのことをとても恥ずかしいことだと思っているようだが、本当にそんなに恥ずかしい事なのだろうか?

2001年の夏に放った彼等の21Secondsは、UKヒップポップが持っていた米国に対する劣等感をぶち壊した、しかし同時にMegamanが生み出した明け透けな愚かさとシャンパンを浴びる様なギャング文化を、そのファン達に与えたのも確かだ。So Solid Crewは、The StreetsのMike SkinnerやDizzee Rascalのダーティなリアリズムの為の下地を作った。UKガラージがストリングスたっぷりの、ソウルフルなヴォーカルものにうつつを抜かしている間、エレクトロとのリンクを再び確立した。So Solidを聴いた記憶は頭の中にこびりつき、何も知らない人々はそれをグライムのサウンドの中に聞き取るのだ。

(Ben Thompson)

Theme:おすすめ音楽♪
Genre:音楽

comments(0)|trackback(0)|GRIME/DUBSTEP|2006-10-19_01:27|page top

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